浜名湖競艇場ペラ曲げ事件
戦前、戦中、戦後の証言
「随筆 今、昔くらし物語」 17
なるがままに流されて
浜名湖競艇ペラ曲げ事件 あまりの雄踏町漁民の嫌がらせと、渡船(チャカ)の往来が 多く、突然「プロペラ曲げ」事件が起きた、(映画化された) 夢のようなペラ曲げ事件は「弁天島」競艇場だから起きた前代 未聞の大事件だったのはペラ置き場近くに遊水路があり、人影 もない場所であったのも事件誘発思考に至った経路がある。
この日私は勤務先の「モーテルハマナ」で東海道モーテル 連合会(沼津、静岡、浜名湖、岡崎、鳴海、大津、琵琶湖)の 連会合が弁天島ホテルで午後3時から開かれた。 私は社長の補佐としてホテルへ赴き(ハマナから1キロ) 開場準備などお手伝いしホテル最上階屋上へ出た。途端北東角 で「赤、白」の手旗を持ったいかつい顔の男が交互に手旗を振 り動作中、その先には見下ろせば弁天島競艇場がありこの屋上 からは全体が見下ろせた。咄嗟にその男は手旗を懐へ隠し持つ て屋上から逃げるように去った。
「可笑しな挙動不審者」だと思いながら会合の終了を待ち、 ハマナへ帰ると「横井さん、今日の競艇場で偉い事がおきた」 と騒いでいた。バイトの女子従業員が聞いてきた事件として ペラ曲げがあった「配当金」を半数以上の当り券の持参がない そうで、当日はこのペラ曲げ事件の事を知っている者は従業員 以外、当日の夕方TVニュースで知って驚嘆し「話題」になり 映画化もされた程である。私の見た紅白の手旗は矢張り何かし ろ関係していたのではないかと思う。が後日事件の主犯の自供 によると、アクアラングで潜入してペラを曲げたのは一人で 潜入場所の小川での見張り役が一人、舟券購入者が二、三人で 総計五人で前代未聞の奇怪事件の首謀者は「蒲郡競艇」の予想 屋で、浜名湖競艇場内でも販売時間中に数えきれないくらい 購入する男で、有名な奴だった。
最後まで手旗で往信していた 理由と検挙されたと云う話は聞いた事はない。
浜名湖競艇場騒擾事件 7月初開催、8月某日騒擾事件がおきた。
その事件と云うのは当時ランナーボート型の競争が日に4Rは 開催されていた、そのランナーの名手が「納富英明」で例えスタ ート出遅れても1マークの旋回がうまく1.2着、単、複勝式の 舟券は何時でも本命の第一。そのランナーで某選手がスタート 遅れの結果フアンが騒ぎ出したレースは9レース、時間で3時頃 ほんの一部のフアン5人位が 「八百長だ、金返せ」 「レースをやり直せ」 など悪態をついて騒いだ。
当初は他のフアンもただその嬌態を見 て楽しむ程度が三人、四人と騒ぐフアンが増して行った。 当時の到着番号を六人の検定委員が中央発走ライン前に屋根付 き小屋(火回り風)へ縦六人が自分の担当番号艇の到着順を目視 で判定していた、その判定が眼では困難なレースも数多く、常に 文句をつけるフアンも多く、挙句の果て「レースをやり直せ」 コールとなって判定員がいるその火の見櫓風の建物へ向かい、囲 いの鉄線まで押し倒した。その時には、どう逃げたのか判定員は 一人もいなかったのが幸い、暴れたフアンが判定棟に向かって 出走表の束で火をつけた、
「警察だ、たくさん来たぞう」 「逃げろ、警察だ」 の声があちこちで上がる、事件が起きてから一時間も過ぎた頃だ。 誰もが脱兎の如く逃げ去った後の到着だった。(新居署)
判定棟は焦げ臭く、周囲の囲みは滅茶苦茶、その日以後浜名湖競 艇場は「休業」そして現在の場所、新居浜へ移転、その間休業では なかったかと記憶している。 その後かそれ以前にか現在場所へ豪華な「浜名湖競艇場」へ変貌 して「売り上げも」脅威的な数字で始まった。
その場所は静岡県浜名郡新居町漁場埋立地の広大な新競艇場で
あった。東海、関東初めての三重県津市に続いて二番目の駄々広い
競艇場が「浜名湖」に生まれ変わった。
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2016.09.06 23:51